【おせち料理の歴史】由来や昔と今の違いを和食料理人が解説2023.06.28
おせち料理を知らない日本人はいませんが、歴史まで知っている人は少ないでしょう。
そもそも「おせち」と呼ばれるようになったのが、最近のことです。
おせち料理の歴史は古く、始まりは神様へのお供え物でした。
お供えしたあとに、神様のお下がりとして頂く縁起物なのです。
本記事ではおせち料理の歴史や由来について、和食料理人が詳しく解説しています。
最後まで読めば、おせち料理に込められた意味や風習がすべてわかります。
【おせち料理の由来と歴史】お正月の重要性と食べる目的
おせちの歴史は古く、弥生時代に行われた風習が起源とされています。
季節の節目ごとに神様へ収穫物をお供えし、豊作の感謝と無病息災を祈願していました。
おせちは漢字で「御節」と書き、季節の節目である「節(せち)」の日を表します。
年に5つある節日(せちにち)を五節句(ごせっく)と呼び、特別な日としていたのです。
【五節句】
- 1月7日:人日(じんじつ)
- 3月3日:上巳(じょうし)
- 5月5日:端午(たんご)
- 7月7日:七夕(しちせき)
- 9月9日:重陽(ちょうよう)
奇数は縁起のいい数字とされる一方で、重なる(足す)ことで偶数となります。
偶数は「不安定」という意味を持つため、邪気祓いの儀式が催されていました。
1月1日(元日)だけは別格とされ、1月7日を人日(じんじつ)としています。
おせち料理の由来|神様へのお供え物・節供(せちく)の風習
おせち料理の由来は「節供(せちく)・御節供(おせちく)」という風習です。
季節の節目である「節(せち)」の日に収穫した農作物を神様へお供えし、豊作の感謝を伝える日としていました。
「節日(せちにち)にお供えする」ことから、節供(せちく)の名前が付いたと考えられています。
平安時代の朝廷では、節日(せちにち)のたびに宴会が催されていました。
収穫した農作物で作った宴会料理が、おせち料理の原型となったのです。
お正月に用意する3つの理由|幸福祈願・火気厳禁・休養期間
おせち料理をお正月に用意する理由は3つ。
▶幸福祈願:一年の豊作と健康を祈願する
▷火気厳禁:台所を騒がせないように
▶休養期間:炊事仕事を休めるように
お正月(1月)は自然界の神である「年神様」をお迎えする重要な季節で、1年の中でも別格とされています。
「神様を迎えるときに台所を騒がせるのは無礼である」との考えから、お正月に料理をするのは縁起が悪いとされていました。
- 火を使うと「火の神様(荒神)」を怒らせる
- 包丁を使うと「良い縁」まで切ってしまう
- 煮物をすると「灰汁(悪)」が出る
お正月は台所仕事をしなくて済むように、おせち料理は日持ちさせる必要があったのです。
おせち料理を食べる目的|五穀豊穣・子孫繁栄・家内安全の祈願
お正月のおせち料理には「神様をお迎えして一緒に食事する」という目的があります。
お供えしたあとに、神様のお下がりとしてありがたく頂戴するというわけです。
海や山の幸をふんだんに使ったごちそうを共に食すことで、五穀豊穣・子孫繫栄・家内安全を祈願しました。
おせち料理を食べるときは両側が使える「祝い箸」を使いますが、片方は神様が使うためです。
元々は元日ではなく大晦日に食べるもので、今でも地域によっておせち料理を食べる時期が異なります。
【おせち料理の歴史】時代によって変化してきたスタイル
おせちの歴史は古く、始まりは弥生時代にまでさかのぼります。
狩猟メインの不安定な食糧調達から、稲作などの農耕中心に変化した時代です。
この頃から季節の節目を節日(せちにち)と表すようになり、自然の恵みに感謝しお供え物をする風習が生まれます。
食料調達が安定したことで、人々の暮らしに余裕が出てきた証です。
その後、平安時代に入ると朝廷の儀式として催されるようになり、宴で出されるおせち料理が定着していきます。
【奈良~平安時代】おせち料理として定着した時代
節日(せちにち)の風習が正式な儀式となり、季節の節目ごとに宮中行事として執り行われるようになります。
邪気祓いと無病息災を願った宴が開かれ、「御節供(おせちく)」と呼ばれる祝いの料理が振る舞われました。
平安時代の節目は「五節会(ごせちえ)」と呼ばれ、五節句とは少し日にちが異なります。
▶1月1日:元日(がんじつ)
▷1月7日:白馬(あおうま)
▶1月16日:踏歌(とうか)
▷5月5日:端午(たんご)
▶11月:豊明(とよのあかり)
本来お正月とは1月いっぱいを指すため、1月に多くの宮中行事が催されていました。
暦(こよみ)においても1月は春に該当し、新たな門出を祝うのにふさわしい時期です。
【江戸時代初期~中期】おせち料理がお正月の定番になった時代
江戸時代に入ると、宮中行事だったおせち料理が大衆にも広がります。
季節の節目である節日(せちにち)が幕府の公式行事になり、五節句の日は祝日と定められました。
現在も知られている3月3日「桃の節句(上巳)」や5月5日「端午の節句」、7月7日「七夕の節句」などが一般的な行事となった時期でもあります。
江戸時代中期までは、五節句の度に豪華なおせち料理を作っていました。
1年の初めである人日(じんじつ・1月7日)に出されるものを、おせち料理と位置づけるようになったのです。
【江戸後期~明治時代】重箱に詰めるスタイルが確立された時代
重箱自体は室町時代から存在していますが、おせち料理を詰めるようになったのは江戸後期から明治にかけてです。
この頃になると、現在のおせち料理にかなり近づいてきます。
重箱を使うようになった理由は、主に3つ。
▶箱を重ねる→幸せを重ねる→縁起がいい
▷たくさんの料理がコンパクトに収納できる
▶フタ付きで重ねられるので保管場所を取らない
めでたさと利便性を兼ね備えた重箱スタイルによって、おせち料理はますます一般的な行事となっていきます。
また、具材一つ一つが意味を持つようになったのも、江戸時代後期です。
【第二次世界大戦後】「おせち」と呼ばれるようになった時代
じつは「おせち」と呼ぶようになったのは、戦後になってからです。
それまでは「食積(くいつみ)」や「蓬莱(ほうらい)」と呼ばれ、家庭で作るのが一般的でした。
デパートなどで重箱に入った豪華なおせち料理が売られ始め、その際に朝廷言葉だった「おせち・御節」という名称が付けられます。
弥生時代に始まった風習が奈良~平安時代に正式な儀式となり、江戸時代を経て戦後にようやく「おせち料理」の名前で定着したのです。
【おせち料理の歴史】昔と今の大きな違い
おせち料理は時代の流れとともに、呼び名やスタイルを変えてきました。
昔と現代の大きな違いは、下記のとおりです。
昔のおせち料理 | 現代のおせち料理 |
---|---|
見る用と食べる用の2種類 | 和洋折衷さまざまな料理 |
家庭で手作りするのが普通 | デパートや通販で購入するのが主流 |
大人数分を用意する | 1~2人前などの少量 |
核家族化や共働きが増えたことで、おせち料理を家庭で作る機会は減りました。
少量のおせち料理をデパートで購入したり、素材にこだわった商品をお取り寄せしたりする人が増えています。
昔のおせち料理は観賞用と食用の2種類
江戸時代に定着したおせち料理ですが、当時は観賞用と食用の2種類が用意されていました。
当時の重箱は材質の問題により、入れられる料理が限られていたからです。
見た目重視の豪華なおせちは観賞用として楽しまれ、食用には黒豆の煮物やカタクチイワシを干したもの(ごまめ)などが入れられました。
【観賞用おせちの呼び名】
▶関東:食積(くいつみ)
▷関西:蓬莱(ほうらい)
明治に入り重箱が改良されると、汁気の多い料理でも詰められるようになります。
観賞用だったものが食用可能になり、重箱に入った豪華なおせち料理が主流になったのです。
有名店や有名シェフ監修の和洋折衷なおせち料理
大正時代にはサンドイッチやチキンゼリーを重箱に詰めた、洋風のおせち料理がテレビなどで紹介されています。
現代ではローストビーフやキャビアといった高級食材が使われることも、珍しくありません。
従来の和風おせちだけでなく、洋風や中華などさまざまなジャンルのおせち料理が堪能できる点も昔との違いです。
有名店とのコラボレーション商品や、有名シェフ監修の元で作られた独創的なおせちも増えています。
縁起物として食べられていた時代から、純粋に料理として楽しむ時代へ変化したと言えるでしょう。
手作りからお取り寄せへ|冷凍技術の発達や通販の普及
冷凍保存技術の向上や流通が整備されたことで、おせち料理は手作りから通販が主流になりつつあります。
共働きの家庭が増えたため、大晦日におせちをじっくり作る余裕がなくなったからです。
大量に作ったところで、食べ切れないという問題もあるでしょう。
ネット通販なら産地直送の新鮮食材や、普段お目にかかれない高級食材を使ったおせち料理がお取り寄せできます。
インターネットで簡単に注文できるので、忙しい現代人にピッタリです。
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産地直送の厳選素材を使ったおせち料理が、簡単にお取り寄せできます。
冷凍状態で届くので、長期保存も可能です。
おせち料理の歴史は、神様へのお供え物が始まりです。
弥生時代に始まった風習が、平安時代に正式な儀式となります。
一般的に普及したのは江戸時代、後期になると縁起の良さから重箱に詰めるスタイルへと変わりました。
今は手作りだけでなく、趣向をこらしたおせち料理をお取り寄せするのが主流です。
おせちの歴史を知れば、時代ごとの意味や楽しみ方が理解できます。
現代ならではの楽しみ方も見つかるはずです。